納得できることしか理解できないし行動変容しない

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青空
追記:完全に自分用のメモを公開します!
最近、本を読んでいても、自分の行動を振り返っていても、人の行動を見ていても思う事。
結局、納得できることしか理解できないということ。
そして、理解できないと行動変容しないので、納得していないとなる。


たぶん、自然にできる人の方が多数なのだと思います。
私の場合は、理論的に考えたり、出力することをずっとやってきたので、その当たりがうまくいかない。
もともと、人とコミュニケーションをするのが苦手なタイプなので、基本は相方が代行してくれるのだけれど、うまくコミュニケーションできていなくても、問題ないんだなと感じることも多い。
本という、抽象度の高い文字という伝達手段で、物事を習うという教育を受けている。
それは、抽象度が高い状態で会話ができるほど、短時間のコミュニケーションで済むため、効率化されているのだと思う。
つまりは、その当たりが理解力とされることなのでしょう。
本来は、言語などに頼らず、自然にできている人の方が理解力が高いはずなのですが、自然にできている人は、言語で出力することに慣れていない人が多く理解力が低いとされている気がします。
うまく、表現できているかわかりませんが、本来、
背中を見て覚える
という能力を上げるべきなのに、伝える側が、効率よく行うために、
文字を読んで理解する
という能力を上げようとしているのかなと。
書いていてよくわからなくなっているけれど、つまりは、
同じ本を読んでも、理解していることは全く違う。
ということです。また、少し抽象度を下げて、
同じ会話を聞いていても、理解していることは全く違う。
ということです。さらに、少し抽象度を下げて、
同じTVを見ていても、理解していることは全く違う。
ということです。さらに、少し抽象度を下げて、
同じ状態を体験しても、理解していることは全く違う。
ということです。
私の場合、感受性が高いためか、その人の心の状態が見えることが、多々あります。(勘違いも多い。)
さらに、コミュニケーションを避けてきたため、表現力がなく、自分の言動や行動により、相手がどうなるかということが分からない。
つまりは、空気が読めない。苦笑
だから、私とコミュニケーションをとってもらえる人は、普通の人よりも、コミュニケーション能力が高い人が多い。
もしくは、自分という流儀ができていて、大抵のことは気にしない人、だと感じています。
たまには、ぐだぐだ書くのも良いかなと思って、思ったままを書き出しています。
あと、最近、強く思う事は、
世の中、すべて幻想だ!
ということ。
みんなと同じと思っていることが共同幻想で、自分の持っている価値感が自己幻想である。
自己幻想と共同幻想が一致していると、影響力を持てる。
影響力を持つと、信頼が得られ、自己重要感が上がる。
その当たりを見失うと苦しくなる。
つまり、重要なのは、自分ができること(やりたいこと)と世の中が欲していることを、うまくマッチングさせることしかない。
ということ。
戦争という時代では、人を殺す能力が評価される。
平和という時代では、人を殺す能力は受け入れられない。
正しいと思っている規則なんて、すぐに変わるし、何が正しいかなんて人それぞれだし、時とともに変わります。
100年を人の感覚では、長いのかもしれませんが、屋久杉の感覚では短いかもしれません。
大げさな例かも知れないけれど、だから、すべては幻想なのです。
逆に言えば、みんながやっていることをやっていれば、絶対的な安心感がある。
(ブランドものが欲しくなるのと同じです。)
でも、そればかりやっていると多様性を失って、自己重要感を失う。
抽象度を下げれば(徹底的に具体化すれば)、もともと、全然違う生き物なので、多様性を持っているのです。
そこに気がつかないと、徹底的に自己重要感を失ってしまう。
子供が大切で自分なんて全く重要じゃないというひとは、「子供=自分の抽象度を1つ上げた存在」のため、自己重要感をそこに得ているわけである。
私の場合は、今、自分自身がかなり幻想を見失っている。
楽しい、美しい、良い、しあわせ、などの幻想を持っているのですが、核となる幻想を抱けていない。
だから、色々な事をしているのだと思うけれど、自分を持っていないので、ブレブレになっている。
そう考えていると、
美しい
という幻想が一番しっくりくる。
ブレている状態なので、サラリーマンのように指示される方が、行動選択に迷いが無く進める。
自分で何かしようとすると、うまく行動選択ができない。
だから、困っている人のところに飛び込みたくなる。
困っている人を助けていれば、行動選択に迷わないので、楽なのである。
でも、たぶん、今一番困っているのは、自分なのである。
毎日一生懸命に命がけで食べ物を得るための行動選択をしなくても、生きられる社会が形成されているという幻想の中、
日々、何をすると美しいのか。
どんな人の役に立ちたいのか。
自分がどういう進化をしたいのか。


その当たりが見えていないので、潜在意識の行動選択が上手くできていないのかなと。
時間は止まらないので試してみながら、コンフォートゾーンを見つけていこうかな。
少なくとも、今の私にとって、「子育て・釣り・食べること」は素晴らしく楽しいのです。
楽しいこと
たまには、書き殴ってみるのも良いかなと思ってやってみました。
綺麗な文章を書けないということは、自分の中でまとまっていないこということなんだと実感しました。
お付き合いさせてすいません。
雑文を読んで頂きありがとうございます。

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