尺度という感度

周りの方々よりも、広い人付き合いをさせて頂いていると感じる今日この頃。
尺度というか、感度の違いを分かっている事が重要だと思う事が続いています。

例えば、沖縄の海は、きっととんでもなく綺麗なのです。
でも、日々、その海を見ているとその綺麗さが分からなくなる。
しかし、飛行機に乗って都会の空港に降りるときに、
海の色の違いに愕然とし、沖縄に帰るときに綺麗だと実感する。
ピラミッドの頂点部分しか見えていない状態では、
自分が底辺だと感じている事が、
実際は、頂点部分の底辺であり、
本当の底辺はずっと下。
つまり、自分が底辺だと感じていた事は、
実は、頂点だったりするのです。
これが人間関係にも大きく当てはまると感じています。


分かりやすいパターンだと、
年収1千万を目指せる会社にいれば、
700万円の年収はまだまだと感じます。
しかし、平均年収600万の平均年齢の会社員や公務員と取引していると
仕事内容を考えると400万円の収入で不満を感じる。
上司の収入が400万円だと自分の収入が200万円では
上司にもっと働いて欲しいと思う。
これは、日々付き合っている人の収入の尺度の違いから、
発生する考えだと思うわけです。
お金は数値化が簡単ですが、それ以外の
主体性、仕事のスピードや質、判断力、知識量、努力、頑張り、
行動範囲、優先順位、時間価値、芸術性
なども、その人が持っている尺度ややり方があり、
尺度の勘違いをしている事も多いなと。
いつまでも職場に残っている人。
休日出勤する人。
飲みにケーションが多い人。
は、本人は努力していると思っているかもしれないが、
時間価値を低くしている、パワハラ的な圧力でブラック企業を率先して作り出している
と思われています。
しかし、主体性を持っている人からすれば、
自分で判断しているし、同調しない。
自分の各役割において、今所属している組織や業界の年長者を見れば、
なんとなく、自分の将来の姿が分かるわけで、
その姿と自分の理想が一致していれば、そのまま進めば良いし、
乖離していれば、理想の年長者を探して、
教えてもらうなり、盗むなりして、理想の自分に近づいていく。
逆に言えば、理想とは違う方向にいる年長者には近づきたくないというところ。
100歳を超えた健康な男性が、
去年1年間、自分が思っている様に生きられなかった。
今後の老化する自分の生活する姿に「生」を見いだせなくなり、
尊厳死が認められているスイスの機関で、
人生にピリオドを打ったというニュースがありました。
その人の半分も生きていないですが、
体は確実に老化し、記憶力や判断力も落ちてきていて、
経験でカバーしている感がある私には、結構衝撃でした。
普段の死ぬ確率が減った社会を作ってきた事で、
多くの人が100歳を超えるようになり、
年齢を重ねるという意味が、希薄化してきたのかなと。
その意味では、時間という価値も希薄化して、
忙しいと感じながらTVを見ていたり、
意味のないと分かっている事に中毒的に時間を使ったりするのかなと。
つまりは、大きな視野や尺度を持った中で、
理想を追い求める選択をする。
その姿を子供に背中を見せたいと思うところです。

コメント

  1. 神谷 より:

    感慨深いです・・・

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