小3の長女から、「お父さんやお母さんは死ぬの?」という素朴な疑問があった。
「たぶん、ほぼ絶対に死ぬよ。」
と答えた。そして付け加えた、
「あなたも、たぶん死ぬ。だけど、私たちより長生きはして欲しい。だって、若いんだから。」
長女は少し泣いていたが、しばらくすると、忘れたように下の子と遊び始めた。
正直、上手く伝えられなかった。
原因は、私自身が理解していないからだと思う。
ということで、私なりに、吐き出してみたいと思う。
「死」というものは、生きている限り、いつでも訪れる出来事である。
つまり、残っている時間は分からないのである。
自分があと100年後に死ぬ、数年後に死ぬという実感は感じづらく、あと数日や数分で死ぬという事はわかる事がある。
平均寿命で死ぬわけでは無く、どんな生き方をしたかで「死ぬ時」が決まることの方が多い。
いろいろな意味で「死ぬ時」を自分で決めることもできる。
自身の「死」と他者の「死」には、感じ方が大きく異なる。
「肉体的な死」だけでなく、「社会的な死」もある。
社会的に「死」を遠ざけたため、「死」に対する理解ができていない。
他者の「死」を経験していくことで、「死」に対する考え方が変化していく
大切な人の「死」を経験するのか、自分の「死」を大切な人に経験されるのか、どちらもつらい。
死生学を学んだわけでは無いので、雑で申し訳ありません。
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