原因はとても簡単で「理想」と「現実」の差が大きくなるからです。
最近、完全に腹落ちしたことなのですが、この課題は「力以外のコミュニケーション」が発達した頃からの人類の課題です。
力で殴り合って、奪い合っていた時代は、勝ち負けがわかりやすく、現実もとらえやすかったのです。
しかし、今は食べ物を手に入れるだけでも複雑な過程を経るため、「理想」も「現実」も複雑化しているのです。
「理想」と「現実」の差が大きくなれば、通常は「諦める」という回避手段を使うはずです。
しかし、「理想」に縛られていると、「諦める」を使えなくなる。
諦めずに、失敗したという行動選択をし続けると、今までの行動選択がすべて、失敗に繋がると思い始めます。
ストレスフルになる
↓
今、どうして良いのかわからなくなる
↓
これまでの行動選択ができなくなる
↓
変な行動をして、心の病気と言われる
という状態になります。
そこで、「理想」を諦めるか、「現実」の捉え方を変えるか、この2つの方法で、回避できるようになります。
「理想」に縛られる理由は、大きくは2つ。
・欲望が煽られて「理想」が強くなっている
・過去の成功が「理想」にある
です。
昔の人は、どうしたか・・・救いを宗教に求めました。
・入ってくる情報を減らす
・過去をすべて捨て、改宗や転居や出家をさせる
などを行ってきました。
現代はそれが簡単にできないから苦しむのです。
・識字率が高くなったので、どこにいても情報が入ってきます。
・自分のものを買って欲しい人が様々な手法で広告を出しています
・社会が進化して、簡単には死なないシステムを形成した
ためです。
そこで、「理想」をどうするか。
すべては「無」
と理解するのです。
「無」を言い換えれば、「幻」「幻想」「まやかし」「空」です。
つまり、本当の「理想」なんて何も無く、自分が本当にやりたいことをすれば良いだけなのです。
自分のやりたいことは、過去の積み重ねで形成されています。
実は、その過去も、どうにでも出来ることなのです。
そして、「現実」をどうするか。「過去」と同じで、
とらえ方次第
と理解するのです。
「コップ半分の水」と同じで、
同じ現象を見ても、それに対するとらえ方は人それぞれなのです。
「失敗した」という現象も、
・やらなければよかった
・この方法は駄目だということが分かってよかった
とどっちでもとらえる事が出来るのです。
といっても、すべては「無」と腹落ちすることを簡単にできる人もいれば、できない人もいます。
だから、多くの宗教があり、多くの本があり、救いたいと色々なアプローチがあるのです。
一度理解すると、どの本も同じ事を言っていることが分かります。
言い方を変えると、
過去→現在→未来
という時間の流れで、現在だけが行動選択可能です。
過去という「現実」を参考にして、「理想」の未来に近づくように、現在の行動選択を行います。
過去(現実)と未来(理想)を上手くつなげられなくなると、現在(行動選択)が混乱するのです。
過去の同じ現象を見ても捉え方は、人それぞれで、自分の捉え方を変えれば、過去を変えることが出来るのです。
それを言い換えて、どのようにでも考えることが出来るため、「無」と表現するのです。
無限に多様なものなど無いので、そこには何も無い=「無」なのです。
実は、すべてが「無」なので、どのような行動選択をしてもよいのです。
でも、ただ、それを伝えては過去をすべて否定してしまうため、さらに行動選択が混乱します。
日常の行動選択を変化させる動機は
1.失敗を回避したい
2.成功を継続したい
の2つだと思います。そして、1の方が動機が強い。
・マルバツ教育で、バツのことは行動変化することを繰り返す。
・広告産業で失敗を煽り、自分への行動選択を促す
・自由になって、選択肢が広がった
という中で、2を見失っています。
だから、宗教は、行動指針を示しています。
一部の宗教では、一部の人の利益になるように行動指針が書かれています。
一部の人とは、教祖の場合もありますし、弱者の場合もあります。
私は、会社という組織の行動指針も同じようなものだと思っています。
そこで、どうすれば良いか。
・TVや新聞や広告など欲望を煽られる情報を遮断する
・瞑想をして「無」を実感する
・自分の希望(未来)を描き、そこへの達成方法を決める
という事である程度は、ストレスを防げると思います。
私の中では、
すべては「まやかし」であるから、人生を楽しもう
と思うようになり、大きなストレスは無くなりました。
私は「楽しい」をよりどころにしています。
人によっては、「美しい」という感覚で行動選択を行う人もいれば、「愛」であったりする場合もあると思います。
人生に、正解や不正解などなく、どの人も楽しんでいる
と思えるようになり、それほどストレスを感じることは無くなりました。
迷いに迷って元に戻った感じではありますが、十牛図の最後まで理解できました。
ふと、気がつけば約1年たっていますね。
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