「死なないように頑張る」から「どう生きるかを楽しむ」にパラダイムシフトしてきている

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世の中の感覚がかなり変わって来たという印象を受ける出来事が起きています。
感覚の問題なので、自分がそういう見方をするアンテナの感度が高くなっているだけとも思うのですが、思いつくままに書き綴ってみます。


40年ぐらい前までは、明日のご飯を食べるために(豊かな生活をするために)何をするか?
という事を考えて、会社から首にされないように頑張っている人が多かった様に思えます。
それが、バブル期ぐらいから、様相が変わってきた。
会社というシステムを使って楽しんだり遊んだりする人達が現われた。
そして、豊かさという意味を見失い、様々なモノを浪費した。
借金して博打を打つことで、一部の人達が勝ち始め、多くの人が追従していった。
私が就職した頃はITバブルの時で、手書きやワープロからパソコンへ技術的な変化が起き、今はネットワーク化への変化が起きている。
また、文字情報や映像情報も爆発的に増えて、消化しきれない量になっている。
その間に起こった重要な価値観の変化は、「生きる」という意味だろうということ。
つまり、社会が成熟する上で、福祉が保証されるようになり、働かない人にもお金が配られるようになり、今ではベーシックインカムを導入するという動きがあるほど。
さらに、死なないように頑張っていた世代が、今でも現役で頑張っているため、生活に必要な物が世の中が回っている感がある。
そんな中で、多様性のある人間の一部が、ニートとして働かない人達が出てきた。
つまり、無理をして働く事を止めた人達である。
色々な形があるが、親になる年齢になっても、親を頼っているパターンである。
そういう人達を否定するわけでは無く、その人達と話していると「どう生きるか」を迷っている感情を少なからず持っているように感じる。
私も未だに迷いがあるが、自分の行動の裏にある心理がなんとなく分かるようになってきたので、ある程度は乗りこなしている。
けれども、選択肢が広がった事で、近場のやれることではなく、
・自分が楽しめる事をする
・お金を稼げる事をする
・社会に役立つ事をする
などを探していくうちに、完全に迷子になることがある。
そもそも(誰かの指示に従う事も)すべて自分で決めているという事に気がつき、何をしても良いと理解できたときに、やりたいことが分からなくなるのである。
すると、どうなるか、やりたくない事を並べていって、消去法で見つけようとする。
消去法を続けていくと、最後には何もしたくない(働いたら負け)にたどり着く。
ほとんどの人は自分が思っているよりも賢いため、無意識に自分が優位になる行動を取っているように感じる。
詰まるところ、自分の子供には「どう生きるかを楽しむ」という能力を上げていこうと思う。
あと10年~20年で鉄腕アトムやドラえもんの用にロボットが働いてくれる社会が訪れるため、出来た時間でどう楽しむか?
それが重要担ってくるのだと思う。
しかし、それだけではない。
抽象度を上げてしまえば、宇宙なんていわゆる「波」なんだから、自分の波を楽しめば良いだけ。
自分が思っているほど、世界は複雑では無いが、単純でも無い。
我思う、故に我あり。
思えることしか実現しないし、思って行動選択することで実現するのである。

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