書くと考えるの関係について

私はブログを書いています。
ただの日記です。
公開しないと、全く書かなくなるので、
書くという事を続けるために、
毎日書いています。
なぜ書くか。
自分を見失わないように
です。
そして、書いておけば、
私の成功を子供が真似したり、
私の失敗を子供が同じ過ちを
繰り返さないで済むからです。
物事には、陰陽=表と裏がある
と思っています。
書くと忘れません(陽)が、逆に固定化(陰)されます。
(陰への対応方法は、拘らず柔軟に対応する事です。)
書かずに思考だけすれば、
それが習慣化され、
思考として伝えられるでしょう。
「考える」を「歩く」に例えると、
「書く」が「杖」になる。
杖(書く)を持たずに歩いた(考えた)方が
上手く歩け(考えられ)ます。
書く理由が忘れるからであれば、年を取ったのでしょう。
広めるために書くというのであれば、
習慣化されていない事を書こうとするから、
書けなくなるわけで、付け焼刃だという事です。
書くことが辛いのではなく、
明確化されていない事を書くことが辛いのです。
つまり、書く前にまず必要な事は、
誰かに話す、もしくは、見える化するために書く
という事です。
自分の思考の整理のための書くと
広めるために書くというのは、
意味が違います。
広めたければ、そこで満足せずに、
誰かに何度も話すなど、自分の中で習慣化し、
固定化してから、書けばいい。
つまり、
考える→考えるために書く→話す→広めるために書く

の流れがあるのだと思います。

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